>

*

一休さんの話

公開日: : 最終更新日:2015/07/16 人物

一休さん が生まれたのは応永元年一月一日(1394年2月1日)、南北朝が一つに合一されてから二年も経っていない頃です。

南朝の第四代天皇である後亀山天皇が元中九年/明徳三年閏十月五日(1392年11月19日)に、三種の神器を北朝側に送り譲位したことで、南北朝時代は終わりを告げました。その時の北朝の天皇、後小松天皇が一休さんの父上様と言われています。母上様は南朝の公卿の娘だったそうです。

合一されたとは言え、南朝側と北朝側の間には不穏な空気が流れ続けていて、身重でありながら母上様は宮中を追われることになりました。そして嵯峨の民家で一休さんを産むことになったのでした。一休さんは千菊丸と名付けられました。

朝廷の再分裂の種になりうるとして、将軍様・足利義満は千菊丸を殺そうとも考えたようですが、京都の安国寺に入門させるということでなんとか思い留まりました。この時一休さんは六歳、周建という名を与えられました。

周建は十七歳の時、西金寺の謙翁宗為の弟子となり、謙翁のもとで修行を積みますが、謙翁はその五年後に死んでしまいます。このことは周建の心に大きな痛手を与え、周建は瀬田の唐橋から飛び降り自殺を謀るのでした。これを救ったのは何と母上様です。日頃から周建を心配していた母上様は、下男を見張りに付けていました。そしてその下男が周建をしっかりと抱きかかえたのでした。

二十二歳の時に華叟宗曇に入門を許された周建は、それから四年後、「洞山三頓棒」の公案に答えてこう言いました。

「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」

ここでようやく華叟により、一休さんは一休と名付けられることになったのです。

 

一休さんは、呆れるほど破天荒なお坊さんだったそうです。酒は飲むは、魚は食うは、女性とチョメチョメするは、木刀を差して町をうろつきまわるはと、好き放題のはちゃめちゃぶりが伝えられています。

にも拘わらず、高僧として大いなる尊敬を集め、多くの人々から愛されているのは、その奇行の数々も全て悟りの境地に到達したが故の行動であるからでしょう。心の赴くままに身をまかせるのは、普通の人ならただ欲望を満たすだけの愚行に終わってしまいますが、悟境に至った人にとっては、それは一点の曇りもないあまりに自然で純粋な行為なのではないでしょうか。まあ、凡人の私には到底分からない境地ですけど・・・

 

一休さんの弟子に、(蜷川)新(左)衛門(親当)さんという人がいたようです。将軍様・足利利教に仕え、武術に優れていた人でした。青色の着物を着ていたかどうかは定かではありません。

 

名僧列伝(一)(紀野一義/講談社学術文庫)を参考にしました。

 

記事には関係ない写真ですが、

倉敷美観地区 一休

倉敷美観地区のスイーツ店『一休』さんです。

 

関連記事

トランプ氏5

ドナルド・トランプ氏のあの部分の話

アメリカでは、今年のハロウィーンはドナルド・トランプ氏の仮装が人気を集めているそうです。

記事を読む

ジャスティン・トルドー2

カナダ新首相ジャスティン・トルドー氏の男前っぷりの話

2015年10月19日にカナダでは総選挙が行われました。 2006年2月から首相を務めてきたス

記事を読む

レジーナ・スペクターの話

『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』のエンドロールで流れた "The Call" を聴い

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  • 2015年6月
        7月 »
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930  
PAGE TOP ↑